このご時世、やはり僕らの心の救いは小説と音楽である。…てまあそこは人それぞれだが、独りでも楽しめる何かがあるというのは思いの外、生を支えてくれる。
エゴイズム
しかし、この世界で本当に独りぼっちになってしまった時に、それらを全く同じように楽しめるのかね?と聞かれたら、正直なところはっきりハイとは言えない。
結局、自分という存在を証明してくれるのは他者なのである。小説にしろ音楽にしろ、それについて話すときそれらは自分自身であって、好きな小説や音楽を誰かに教えたくなるのは、自分を認めて欲しいからなのだろうと思う。
書評的なブログを書き、DJもする僕は、つまりエゴイズムの塊である。まあまあいい歳して自分に気付いて欲しくてしょうがないのだ。まあそれでいいのかもしれないが…。
偽善に抗う
DJと書評というのはよく似ていて、どちらも「こういう音楽または本があるんだよー」と紹介するのが主な役割である。
しかし、伝える相手は、音楽好きでクラブ慣れした人からろくに音楽を聴かないただの酒好き女好き、活字中毒の人から全く本を読まない人まで多種多様である。そんな中で僕が自分を見失わずに表現するのははっきり言って難しい。
基本的にはただ自分が好きな音楽をかけ、好きな小説について書きたいのだけれども、それでは聴き手読み手に納得されないような気がしてしまって、なんとなく皆が好きそうなものや「これかければ盛り上がる」みたいなものもミックスしてしまう。周りを気にしてしまうのである。
つまり僕は『赤と黒』のジュリアン・ソレルのように偽善を身にまとった野心家なのだ(才智&美貌はない)。知性のない野心家が自分を見失うのは必然である。

- 作者:スタンダール
- 発売日: 1958/06/25
- メディア: 文庫

- 作者:スタンダール
- 発売日: 1958/08/16
- メディア: 文庫
なんだかね、うだうだ言ってないでとにかく好きなことをやってればいいんだろうけどね。DJにしろ書評にしろ、「ああこの人本当に好きなんだなぁ」と感じるとこちらの心と身体も自然に動く。
僕のアイデンティティに組み込まれた「偽善」はなかなか根強く、意志の力で変えるのは難しいなと感じているけども、少しずつでもナチュラルに「好き」を表現できるようになりたい。
DJも書評も、技術なんかいらない。ただ音楽を、その小説を「好き」であれ。
…いや、ごめんなさい、多少の技術は必要ですね。
好きに従順に
まあとにかく何が言いたいかというと、僕の人生にとって「音楽と小説」ってやつが非常に重要な存在なんだってことです。独りでも楽しめて、かつ他者との繋がりを感じられるもの。
創造主たちに感謝しつつ、これからも好きな音楽を聴き、好きな小説を読もうと思う。
自分の「好き」に従順に。