ささやかな胡桃パン-海外文学と遊ぶ

主に『海外文学』と『読むこと書くこと』あれこれエッセイ

「風呂読のススメ」お風呂で読書するという至福の時間に起こる悲劇の回避

あぁまたやってしまった…。角が濡れてしまった文庫本を見つめ僕は嘆く。

 


読書好きな人は誰でも、お気に入りの「本を読む場所」があるのではないかと思うが、僕の場合それは「お風呂」である。今に始まったことではなく、間断はあるが多分中学の頃からの癖のようなもので、なかなかやめることができない。今は小説ばかりだが、昔は漫画も雑誌もなんでも持ち込んで読んでいた。そんな風呂読中毒者である。

そんな風呂読人間が世の中にどれくらい存在するのかはわからないが、もし経験がないという人がいたら是非ともお勧めしたい。誰にも邪魔されないあの密閉された空間と、脳への血の巡りを良くしてくれる「お風呂」は、本当に読書には最適だと僕は思っている。これ至福なり。

しかし、やはりどんな事も一長一短、風呂読にも欠点はある。僕が経験したことで言えば、それは「のぼせ」と「風呂ぽちゃ」である。

のぼせ

「のぼせ」は、これはその名の通り完全に読書に熱中しすぎてのぼせてしまうことである。基本的に僕は「なるべくぬるめのお湯でゆっくり」というスタイルではあるが、それでもやはりあんまり長く浸かっているとのぼせてしまうのである。…まあそりゃそうだ。

だから、時間は程々にしないといけない。体質やその時の体調などを考えて、出来ればタイマーなどで管理するといいのだろうが、僕は使ったことはない。なんせ、めんどくさがりで楽観主義者のダメ人間である。

皆さんはそんな人間にならないためにも是非時間はしっかり管理しつつ、「のぼせ」を防いで風呂読していただきたい。

風呂ぽちゃ

次に「風呂ぽちゃ」だが、まあこれもそのまま、読んでいた本を浴槽のお湯の中へ「ぽちゃ」と落としてしまうことである。これは、ページをめぐる時などに手を滑らせてという可能性もなくはないが、大抵の場合の原因は居眠りである。

コクリときた瞬間にポチャリ。ハッ、と気づいた時には既にその本は濡れてしまっている。そして、この話の冒頭のように嘆き悲しむのである。

…そう、まさに昨夜、それは現実に起こった。というかわかっていた。ちょっと疲れがたまっていたし、ここ2,3日その前兆があったのだ。でも、そういう参っているときこそ「お風呂で本を読む幸福な時間」が僕には必要なのだが…。

しかし、記憶が正しければこれで4回目。学習能力は皆無。まあとにかく疲労がたまっているときなどは、風呂読は控えるべきである。眠りさえしなければ、まず「風呂ぽちゃ」は防げるだろうと思う。

ある程度余力のある時の「風呂読」で「風呂ぽちゃ」は防ごう。

風呂読は至福

とりあえず欠点を2つ挙げてみたが、他にも欠点はあるかもしれない(紙はそもそも湿気に弱いとか←致命的か)。しかし、大体この2つを回避すれば「風呂読」にはもう良いことしかないと僕は信じているし、やめるつもりは毛頭ない。

その利点は…とくに書かないのでこれは是非体験して感じてほしい。

人それぞれ自分なりの「読書を楽しむ場所」があって、その聖域をどうこういうつもりはないが、是非一度「お風呂で読書」を経験していただきたい。その心地よい時間は何ものにも変えられない至福の読書時間となるだろう。