ささやかな胡桃パン-海外文学と遊ぶ

主に『海外文学』と『読むこと書くこと』あれこれエッセイ

オヤジにだってあった青春、そして初恋/『はつ恋』イワン・ツルゲーネフ

ロシア文学
イワン・ツルゲーネフ Ивáн Тургèнев
『はつ恋』(1860)

はつ恋 (新潮文庫)

はつ恋 (新潮文庫)


好きな女の子が急に転校してしまって悲しみに暮れた、なんていう思い出がこんな僕にでも一応あったりする。確か小学2年生の頃だったように思うけども、定かではない。それに…顔は何となく思い出せるんだけども…うーん…何て名前だったかは覚えていない。

しかし、その時の感情は意外と残っているもので、思い出すとなんとなーく切ない気持ちになる。とは言え、記憶なんてのはちっとも当てにならないし、そもそもこれが「恋」と言えるのかも危うい。

まあ何にしろ(なげやり)「初恋」なんてのは、その時は非常に情熱的ではあっても、いずれ大抵このように記憶の片隅にひっそりと佇む程度のものになる(人によるか)。

ただ、たまにはその「初恋」の思い出を記憶の奥底から引っぱりだして感傷に浸るのもいいかもしれない。ツルゲーネフの『はつ恋』でも読んでさ。

話すのが苦手だから書く

なんて、顔が見えないから臆面もなくこんなことを書けるわけだけど、『はつ恋』の主人公ウラジーミル・ペトローヴィチも、話すのは苦手だからということで、その初恋のエピソードを手帳に書いてから皆(なんと男3人で初恋の話をしている)に読んで聞かせる。つまりペトローヴィチが手帳に書いた物語を僕ら読者も『はつ恋』の中で読むわけである。

「手帳」というのがなんか、いい。

わたしは話が不得手なほうですから、無味乾燥なあっけない話になるか、それともだらしない調子はずれな話になるか、そのどっちかです。もし宜しかったら、思い浮ぶだけのことをすっかり手帳に書いて、読んでお聞かせしようじゃありませんか。
—『はつ恋』(新潮文庫)

「話す」より「書く」を選びとるのは、言葉に対して冷静にかつ真剣に立ち向かいたいからである。話すのが苦手(自分)だという人は、きっと言葉を大切にする人なのだろう。…と、横道にそれつつポジティブシンキングしたところで、さて。

ああ、青春よ!青春よ!

「初恋」の思い出というのは人それぞれ印象が違うだろうが、ペトローヴィチのそれはなかなか衝撃的であった。なんと、彼が恋した相手がまさかの……という。それを知ってしまったときのショックは非常に大きかっただろう。その衝撃が、ペトローヴィチのその後の人生にどれほど影響を与えただろうか…。

青春時代という貴重な期間をどう過ごしたかというのは、その人の人格形成に深く関わるような気がする。その青春時代に多くが訪れる「初恋」はとりわけ心をかき乱すし、自己と他者の関係を非常に深く考えるキッカケでもある。

もはや青春と「初恋」は同義であり、初恋こそが人格を形成すると言っても過言ではないかもしれない。

『はつ恋』という作品は、ペトローヴィチというよりも、多分イワン・ツルゲーネフその人である。

オヤジだって…

しかし、オヤジ3人で初恋の話とは…。まあ、それが逆に哀愁を誘うのかもしれない。オヤジだって誰だってみな青春時代を、初恋を経験して今があるのである。

どうか許してほしい(誰に)。


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はつ恋

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