イギリス文学
ジュリアン・バーンズ Julian Barnes
『終わりの感覚』(2011)

- 作者:ジュリアン バーンズ
- 発売日: 2012/12/01
- メディア: ペーパーバック
単なる人生についての物語
最近どうも物忘れがひどくて、このまま何もかもが思い出せなくなってしまうのではないかと不安に感じることがある。歳かな。妻も友人もみな記憶から消え去り、もはや自分が誰なのかさえわからなくなる、なんて事を想像すると非常に恐ろしい。いや本当に恐ろしい。
人は記憶で造られている。記憶がなくなれば、その人はその人ではなくなる。それほど記憶というのは重要であるにもかかわらず、人はどれほど記憶を「改ざん」しているだろうか。どれほどの「自己欺瞞的記憶」にすがっているだろうか。勿論皆が皆というわけではないだろうけれど。「郷愁」「追憶」「ノスタルジア」というとなんとなく聞こえはいいような気がするが、そうやって自分で勝手に美化した過去にすがりついて生きる僕みたいなオジさんは特に見苦しい。
「昔は良かったね」といつも口にしながら生きていくのは本当に嫌だと思って生きていたはずなのに、気づけばそうなってしまっているのではないか。ジュリアンバーンズ『終わりの感覚』を読んでいて、そんな事を考えさせられた。
私たちは自分の人生を頻繁に語る。語るたび、あそこを手直しし、ここを飾り、そこをこっそり端折る。人生が長引くにつれ、私が語る「人生」に難癖をつける人は周囲に減り、「人生」が実は人生ではなく、単に人生についての私の物語にすぎないことが忘れられていく。それは他人にも語るが、主として自分自身に語る物語だ。
『終わりの感覚』新潮クレストブックスp117
なにもわかっていない情けなさ
他人と共有する記憶というのもある。しかし共有とはいっても、互いに持つその記憶の印象は必ずといっていいほど異なるはずだ。一方にはいい思い出でも、もう一方にとっては不快であったり。その可能性を考えずにいると多分痛い目にあう。『終わりの感覚』の語り手アントニーのように「あなたはなにもわかっていない」と言われてしまうかもしれない。というか、このセリフは男なら一度は言われたことがあるのではないかと思わなくもない。笑。
他人の心にも注意深く生きたいなあ、とは思っても、やはり自己中心的になりがちなのが人間(みな巻き込む)であって、なかなかそれに気づかず生きてしまう。しかし、だからこそこのような小説があるのかもしれない。少なくとも僕はこの『終わりの感覚』を読んでハッとさせられ、自分の不甲斐なさを思い知った。
あとはこの記憶をなくしてしまわないようにすることである。
ジュリアン・バーンズ
ジュリアン・バーンズはイギリスの作家。この『終わりの感覚』で候補4度目にしてやっとの「ブッカー賞」受賞。1946年生まれで、僕の好きなポールオースター(アメリカ)とはほぼ同年代である。
因みにこの『終わりの感覚』は『ベロニカとの記憶』というタイトルで映画化されている。昨日途中まで観て寝ちゃったから、後でまた。
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