-ささやかな胡桃パン-

『海外文学』と日々のたわいもないノート

幻影に人は救われる/『幻影の書』ポール・オースター

アメリカ文学
ポール・オースター Paul Auster
『幻影の書』(2002)

幻影の書 (新潮文庫)

幻影の書 (新潮文庫)

結局戻ってくるのはやはりここ。現代アメリカ文学界の最重要人物ポールオースターである。


幻影という名の希望  

「幻影」というのは、ひとつの希望を表す言葉なのではないかと思う。人は何かに、もしくは誰かに頼って生きていくものだけれども、現実に存在しているかのように見えるその「何か」や「誰か」というのは、紛れもなく自分自身が生み出した「幻影」である。勿論それに惑わされることもあるだろうが(本来の意味はこっちかな)、救われることがあるのもまた事実のように思われる。

誰しも深い悲しみに沈み込んでしまうような時はある。しかしそんな絶望の最中にふと訪れる「偶然の出会い」によって、そっと心に植え付けられた希望の種が、生きる目的や道標となる「幻影」へと育ち、人をどん底から救い出してくれるということもあるのだ。

ジンマーが家族を亡くし絶望の淵にあった時、偶然ヘクターのサイレント映画に出会いそれが生き延びる目的となったように、この『幻影の書』が、悲しみの中にある、もしくは孤独を感じている誰かにとっての「救済の書」になることがあるかもしれない。『幻影の書』という小説にはそういった力がある。

この『幻影の書』を読んだのは2度目だけれども、前回にしろ今回にしろ僕は別に落ち込んでいたわけではない。しかしこの小説を読み、ジンマーの悲しみに深く同調することで、彼の「幻影」であるヘクターやアルマによって僕自身がこの先を生きていく希望を与えられたような気にさせられた。

ヘクターやアルマ、そしてジンマーが、僕にとっても「幻影」という希望であるということなのかもしれない。

現実と虚構の不思議な関係  

オースターはいつも、いかに僕らが生きる(生きていると思っている)現実世界が信じられないほどの驚きに溢れているかということを、小説という虚構の世界で描く。つまり「現実は小説よりも奇なり」ということをその「小説」で書いているわけである。矛盾しているような気もするが、実はその矛盾こそがこの世界の真実であって、きっとオースターはその「真の世界の姿」というものを僕らに「物語」を利用して伝えているのではないかと思う。

こういった現実の世界と虚構の世界の不思議な関係の謎を思索するのが、この『幻影の書』を含め、オースターの小説を読む楽しみの一つだと僕は思っている。  

現実とはもろもろの虚構と幻覚から成る無根拠な世界であり、想像したことすべて実現する場なのだ。
『幻影の書』(新潮文庫)p214

奇跡や偶然への期待

そのようにオースターの作品は「思索する楽しみ」を僕らに教えてくれる。しかしそれだけでは勿論なく、そもそも物語自体が非常に魅力的でグイグイ引き込まれ読み進むことを止められない。

これは、さっきも書いた「信じられない驚き」が起きることを文脈から常に予感させられるからで、読者はそれを知りたいがために読み進めるしかないのである。特にこの『幻影の書』はその予感に満ちているように感じている。(まあオースターの他のどの作品も、読むたび「これが一番」と思ってしまうんだけれども。笑)

驚きや奇跡、偶然の運命に期待するという意味で、ポールオースターの小説という虚構を「読むこと」は現実世界を「生きること」と同義であると言ってもいいのかもしれない。

人はみな、不可能なことを信じたがる。奇跡は起こりうる、みんなそう思いたいのだろう。
『幻影の書』(新潮文庫)p10

『幻影の書』は『救済の書』へ  

人はひとりでは生きられない。「誰か」や「何か」という幻影が必要であり、また奇跡や驚きへの期待という生きる目的を与えてくれるものが必要だ。

もし何か悲しい出来事に落ち込んでしまったり、人生に期待できなくなってしまったとき、是非このポールオースターの『幻影の書』を手に取って読んでみてほしい。

きっと「人はみな孤独だが、しかし独りではない」ということを教えてくれるだろう。  

幻影の書 (新潮文庫)

幻影の書 (新潮文庫)

オースター作品の中で、この『幻影の書』は間違いなくベスト3に入るよ(あくまで僕の中で)。

ということでコチラも良かったらどうぞ↓

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