ささやかな胡桃パン-海外文学エッセイ

『海外文学』と『読み書き』にまつわるあれこれエッセイ

凡人は狂人へ憧れる『嵐が丘』エミリー・ブロンテ

イギリス文学
エミリー・ブロンテ Emily Jane Brontë
嵐が丘』(1847)

嵐が丘 (新潮文庫)

嵐が丘 (新潮文庫)


ブロンテ姉妹のひとり、エミリー・ブロンテ唯一の長編小説。この『嵐が丘』は、エドマンド・ブランデン「世界(英米文学の)三大悲劇」やサマセット・モームによる「世界十大小説」のひとつとされている。

理屈じゃない何か

僕は結構淡白な性格なので(自己分析)、復讐に燃えるほどの強い想いを抱いたこと(もしくは抱くほどの体験)はないけども、しかしだからこそなのかヒースクリフのように一途な、というかパラノイア的な愛情というものには、ついつい惹かれてしまう。そうなりたいと言うのではなく、単にその理屈がわからないからなのかなと思う。愛は理屈じゃないよ、と言われたら、はいそれまでよ。

まあ確かに愛だの恋だのに限らず、何かに妄信的に猛進する時には頭より先に身体が動いてしまうもので、あーだこーだと理由を並べ立てたりはしないものだ。『嵐が丘』の中でのヒースクリフの行動にいちいち説明はないが(語り手が本人ではないので当たり前か)、それがいかにあくどい行動で彼がどれだけ酷い人間に見えても、その裏側にあるキャサリンへの強い、もはや狂ってしまうほどの愛情があることを読み手は思い知らされ、彼を心から憎むことはできない。憎むどころか心惹かれ、憧れさえ抱くのである(私的意見)。

恋を知らないエミリー

ブロンテ3姉妹の2番目(正確には5姉妹の4番目らしい)エミリーは、この『嵐が丘』を書き上げた翌年30歳の若さで亡くなっているが、その生涯において恋をしたことは一度もないという。その彼女の、もしかしたらひとつの理想の人物がヒースクリフなのではないか、と思わなくもない。

そう考えるとエミリーの分身はキャサリンということになりそうだけども、キャサリンはキャサリンでも娘の方(親子ともにキャサリン)がそうなんじゃないだろうかと、読みながらそう感じた。ちょっとこれは、何となくの直感で根拠もへったくれもなく、完全なる僕のイメージなのでそこのところ要注意。笑。

しかし、もし本当に恋を経験したことがないとしたら、エミリーは完全なる想像のみでこの小説(の恋愛的な部分)を書いたことになる。にわかには信じられないが、もしそうならば、未体験からこのような愛憎を描くとは、なんとも凄まじい想像力である。まあ想像力が体験を超えるのが小説だと言えるのかもしれないし、そういった作者の想像した物語を読者が体験するのが小説を読む醍醐味でもあるけども。

語り手は最重要

さて、エミリーの想像力はひとまず信用したところで、一方この小説の語り手エレン(正確には本来の語り手ロックウッドに対する語り手)の話はとにかく信用ならない(勿論エレンもエミリーの想像の産物なんだけど)。完全にエレンの偏見と思い込みによって、それぞれの人物について語られていて、その造形はほぼエレンに託されている。しかしそれが面白いところで、その信用できない語りが逆に読み手に想像させる余白を生み出してくれてもいる。

と、なんとなく今書きながら思いついたんだけども、面白い小説って「疑い」を持てる物語なんじゃないか。その「疑い」によってより深みにはまり、思いもしないところへ連れていかれてしまうような。まあ基本的に僕は、ミステリーのフォーマットを利用しながらも解答へはたどり着かず破綻させていく、というような話が好きだったりするからというだけで、結局ただの好みだろうけども。しかし、叙述ミステリー的というかそういう意味で、信用ならない語り手というのは非常に魅力的な存在だなと思ったし、この『嵐が丘』を無意識にそういう読み方をしていたんだなと、今更ながら思っている。

(信用ならない語り手、コロコロ変わる語り手の「疑い」小説といえばラテンアメリカ文学の神フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』が僕の中では最強である。)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)


この『嵐が丘』は世界三大悲劇のひとつとされていて、「ドリーな話」(陰々滅々とした話)と小説内でもそんな風に表現されているが、実際読んでみると全くと言っていいほど暗さは感じない。これもやはりエレンの語り口の適当さ(口の軽さ)が影響しているのだろう。「おばちゃんの井戸端会議」的な、時に深刻で、時に大袈裟で、時に適当なエレンの口調が、真実とどこか乖離しているような、でも真実のような絶妙なバランスである。

このような重たい物語を、話好きなおばちゃんに語らせちゃったエミリー・ブロンテはさすがだね。まあ、かと言ってほかにまともに語れそうな人物もいないかもしれないけども。笑。それにしても、語り手を誰にするかというのは非常に重要なのだね。あ、ていうか本来の語り手はロックウッドだった。。ほとんど喋らないんだもの。。まあいいか。

何だかんだでヒースクリフ

そんなエレンやロックウッドより、やはりヒースクリフである。彼の妄信的猛進がどのような結末を引き起こすのだろう、という興味がなによりこの物語の吸引力だし、彼の脳内を覗きみたいという欲求だけでこの小説は読み進めることができる。結果ヒースクリフという人物を理解するには至らないかもしれないが、彼に対する一種の憧れはきっと抱くことになるだろう。ヒースクリフの憧れの対象はキャサリンだが、エミリー・ブロンテの、また僕ら読み手の憧れはヒースクリフその人なのだ。

嵐が丘』は、そんな憧れが重なり合うポリフォニックロマン(ロマンス)小説である。


★ノルウェーブッククラブBEST100リスト


映画は観ていない。

嵐が丘 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: パラマウント ジャパン
  • 発売日: 2005/10/21
  • メディア: DVD

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kindleでも読めるよ。

嵐が丘

嵐が丘


タイプは違うが、これも狂人への憧れ。マイフェイバリット映画。