ささやかな胡桃パン-海外文学エッセイ

『海外文学』と『読み書き』にまつわるあれこれエッセイ

『オイディプス王』ソポクレス

ギリシャ文学
ソポクレス Sophokles
オイディプス王』(前429/420)

オイディプス王・アンティゴネ (新潮文庫)

オイディプス王・アンティゴネ (新潮文庫)

  • 作者:ソポクレス
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1984/09/27
  • メディア: 文庫


アイスキュロスエウリピデスとともにギリシャ三大悲劇詩人のひとりである、ソポクレス。その彼の最高傑作といわれるのがこの『オイディプス王』である。

これが書かれたのが大体紀元前420年ということで、何はともあれまず、それほど前にこんなに完璧な(自分の好み偏見含む)作品が出来上がっていたことに驚きである。2400年以上たった今でも、そう感じる人間がいるというのはとても素晴らしいことであり、この作品を残してくれたソポクレスに、それを受け継いでくださった方々や訳者の方々に感謝せずにはいられない(盛りめ)。

絶望的運命

さて、そのような作品に出会うというのは、それは生ずべくして生じたひとつの運命である。『オイディプス王』に出会い僕は光を得たが、オイディプスは自身の運命を悟り、自ら光を失った。

おお、そうか、そうなのか!すべてが生ずべくして生じたのだ、すべてが本当なのだ!光よ、これがお前の見おさめだ、、、
オイディプス王』(新潮文庫)p86

その(自分の罪が確信に変わった)瞬間のオイディプスの絶望は想像を絶する。確かにオイディプスに差し出された真実は因果応報ではあるが、そこには偶然という運命の悪戯をはらんでいる。

基本的には自分のその行為が結果を生むが、しかしそれを超える何かが知らず知らずのうちに僕ら人間に影響を与えている。受け入れがたい運命というものに襲われることは誰にでもあることであって、だからこそ読み手の僕らもオイディプスに心を映し、等しく絶望するのである。


心のままに生きる

しかし、絶望的な運命があるのと同様、希望的な運命もある(と思いたい)。『オイディプス王』は悲劇の物語だが、オイディプスの人生はただ悲劇というわけでは勿論ない。心優しい人間による救いもあったのである。だからこそオイディプスは生きて王になった。

結局未来など(神以外)誰にもわからない。よりよい未来を信じ、その為に自らが取る行動には注意深くなくてはいけないが、それだけでは何ともならない未知の未来が常に僕らを襲う。神のみぞ知る、である。

所詮、人間は運命のままに生きるもの、先のことは何一つ分かるはずもございますまい?出来るだけ心のままに生きるのが何よりと存じます。
オイディプス王』(新潮文庫)p71

大事なのは出来るだけ心のままに生きることである。やりたいことをやり、やりたくないことはやらない。というのが人生において一番重要なのだ。出来るだけね。やってはいけないこともある。


オイディプスの神託

とにかく周囲に振り回されることほどつまらないことはない。誰に何を言われようと好きなことをやるべきなのだ。

どう生きようが運命はただ訪れ、人間はそれをただ受け入れなくてはいけないという宿命にある。運命に逆らう術はない。アポロンに神託を訪ねに行くという習慣のない僕らは、その未来を案じすぎず、今の自分を信じ、出来るだけ心のままに生きよということを『オイディプス王』というひとつの作品から託されるのである。

そのご褒美

オイディプス、イオカステ、クレオン、その他無駄のない登場人物たちと、これまた無駄のない真っ直ぐ絶望に向かって突き進む物語が、もう完璧である。

僕に起こるべくして起こった『オイディプス王』との運命の出会い、これは心のままに読書をしてきたご褒美であると思いたい(あ、これでは因果応報か)。