-ささやかな胡桃パン-

『海外文学』と日々のたわいもないノート

『響きと怒り』ウィリアム・フォークナー

アメリカ文学
ウィリアム・フォークナー William Faulkner
響きと怒り』(1929)

響きと怒り (上) (岩波文庫)

響きと怒り (上) (岩波文庫)

響きと怒り (下) (岩波文庫)

響きと怒り (下) (岩波文庫)

フォークナーが生まれ育った土地、ミシシッピ州ラファイエット群オクスフォードをモチーフにして書かれ、ヨクナパトーファ群ジェファソンという架空の土地を舞台にした、いわゆる「ヨクナパトーファ・サーガ」第二作。ヨクナパトーファ。これがなかなか覚えられなくて困る。笑。

難解小説ヘビー級ハードパンチャー

さて、いきなりだがこの『響きと怒り』、試合開始1R早々でノックアウトされる小説の筆頭である。4章構成になっているが、1章を読み終わる前に放り投げてしまう人はきっと多いことだろう。なんとか理解しようとしながら読んでしまうと(まあそれが普通か)、何が起こったのかさえわからぬままリングに沈みそのまま病院へ直行である。

コンプトン家三男末っ子であり1章の語り手の、よだれを垂らし呻き声をあげる白痴ベンジーの脳内をそう簡単に理解できるわけはない。ので、この小説を読み通すためには、まず(特に1章は)理解しようとはしないことが大事である。

理解しようとするのは、もう少し読み進めてから、もしくは二度目三度目と読み返す時で良い。(と僕も途中で気づいてなんとか突破。経験談)

2章のクェンティンの語りもまだ読みづらいが、ベンジーの語り(語りというのは正確ではないのだけど)に比べればだいぶ楽である。そして話の内容も少しずつ見えてくるし、そうなってくればもう一気に行ける。

そしてもう3、4章はのめり込むこと必至である。そうやって全く意味不明なところから徐々に内容を理解していく過程とその一瞬一瞬のカタルシスがこの小説を読む醍醐味なのだ。

注釈無視が吉

それを考えると、もうひとつ。 岩波文庫版の巻末の注釈はいちいち確認せずに読むべきである。僕も最初はひとつひとつ確認しながら読んでいたのだけれども、もともと読みづらい小説なのにそれに加えいちいちページを行ったり来たりしていては、いつまでたっても進まない。

それに、最初からこれ分かっちゃっていいの?ってなことが書かれていて、それこそ醍醐味台無しである。親切心は時にほにゃらら。いや、全く不要ということではなくて、一度読んでからさらに理解を深めようという時にはもちろん役にたつだろう。

○○○

なんか、偉そうに読み方講座みたいになっているが、僕はこれ初フォークナーである。笑。最初にこの『響きと怒り』は失敗だった、、と思ったけどもなんとか読み切ったし、そのなんというか自負みたいなものだけで、書いてしまった。恥。

だが普通に面白い

さて。そんな風に(どんな風?)この小説は、構成やその実験的な手法に目が行きがちだけども、普通に物語としても面白く、コンプトン家が次第に崩壊していく様が読み手を惹きつけてやまない。

意味不明→理解というカタルシスと、物語が見え始めてからの面白さが響きあい、怒りという人間の最も原始的な感情に興奮させらせることは間違いないだろう。

ということで、ウィリアム・フォークナー響きと怒り』是非。(でもやっぱり初フォークナーでこれはやめておいた方がいいかもしれない)